犬2(完全版)

2015/1/23

深夜2時47分。もう2年以上シーツの掛かっていない布団の上で彼は正座している。彼は右腕を布団の上に振り下ろす。血圧をあげながら、両足の密着をくずしながら、ホルモンのバランスをくずしながら。プラスチック製の密封容器をもうひとつの密封容器の上に投げつけた。容器は割れ、 珈琲豆が部屋中にに散らばった。80グラム。たった3日で飲み干す量でも、狭い縦長の部屋を埋め尽くすには十分だった。肺活量の豊富な小ぶりな肉体の、横隔膜から這い上がってくる歌声のような、甘く、力強く、ほろ苦い香りが部屋を満たす。老いた象の肌のような色の椅子を布団の上に投げ飛ばした。ノートパソコンのコードが椅子に絡まっていたのに気づかず、パソコンを机から落としてしまった。打ちどころが悪くなかったおかげで、今もパソコンは動いている。空腹と惰性で、インスタントのかけ蕎麦5袋パックの最後の1袋を茹でる。味が単調で飽きたので、付属の汁の素の量を少なめにして、オレンジラベルのめんつゆを混ぜた。蕎麦を食べた。吐き気がした。荒んだ心を遊んだせいか、身体が化学調味料疲れをおこしているせいなのかはわからないが、吐き気がした。かけ汁のほとんどが残ったままのドンブリに、栓をするように、赤いマグカップを沈めた。トイレでうずくまったが、吐けなかった。チャンスがきたら、ブラックボックスのような場所で吐けばいい。黒ずんだ消しゴムのカスひとつ動かさずに、生命体を清めた。羊のことが気になりだして、動画を漁った。止まない雨はない、曇らない空はない。語呂の良さと響きの美しさで前者を選ぶ。翌日21時30分就寝、4時30分起床。哺乳類の毒をインクにして夢を見る。その隙間をわさび茶漬けとガテマラの珈琲で埋めた。ルー・リードの『ベルリン』を聴いた後、雨音の引き際に耳をすませる。手垢のない新しさが日の出を待たずにはじまっている。


彼は読むことが好きだった。活字を食べて、生きていた。読むことにつかれていた。今は、終わりのなさにつかれていた。活字に胸焼けしていた。活字に狂わされていた。活字に凍らされていた。活字を調理したかった。活字をブレンドしたかった。活字を配膳したかった。活字を演奏したかった。活字をダンスしたかった。活字をスイングしたかった。活字をビートしたかった。活字を落書きしたかった。活字を移動手段にしたかった。活字の生活。通行証も免許証も刷られなかった。何かの予兆のように机の上でパソコンを取り囲む、本の山を本棚に戻した。大江健三郎ジョン・アーヴィングカート・ヴォネガットベートーヴェン井上ひさしポール・オースターヘンリー・ダーガー手塚治虫スコット・フィッツジェラルドレイモンド・カーヴァー池波正太郎。ジョンケルアック。トマス・ピンチョン村上春樹。彼は偉大な地図に導かれ、地図に窒息していた。潰れて、乾いてしまう前に、地図を視界から遠ざけた。地図を破り捨てることの代償行為として、蛹の脱皮のメタファーとして、いらなくなった本を両手で千切った。思ったよりも早い折り返しの電話。彼は地図の作者になることを決めた。死なないために。死なない理由を作るために。身を削れ。鉛筆を削れ。円盤を回せ。ピザを焼け。チーズを溶かせ。蜂蜜を溶かせ。ホラを吹かせ。足を浮かせ、重力をなくせ。立体を立てろ。大盛りのナポリタンを差し出せ。タバスコへと導け。緑のラベルの粉チーズへと導け。炎天下のアイスコーヒーへと導け。雨の予報が現実になった今を歩く。道端で、正しさを目的とした紺色の蝙蝠傘が4本。紐で吊るされた風船のように、浮いたり、沈んだりを繰り返している。行きつけの店の開店時間は過ぎているのに、いつもと違う場所にCLOSEDの札がたっている。何かの間違いか、開店時間が変わったのか。中では店主が忙しげな表情と手つきで飛び出してきそうな勢いだ。入り口を正面から横切ってそのまま道路を進む。グルっと回って開店する?のを待とう。店から距離を取りながら、OPENの札が出るのをまつ。30分、40分たってもCLOSEDのままだ。やっぱり、間違えてOPENの札を出し忘れているんじゃとも思う。雨の日は必ず外に出ている濃紺の傘立てがないから、やっぱり開店時間を間違えたんだ。自分を納得させるように、11時まで待つ。もし店の人に様子を見られたら、不可思議に思われるだろう。彼は昔から建物に直行するのが苦手らしい。知り合いの仕事場に行くにも、行きつけの喫茶店にいくのも恥ずかしげで、店の周辺を2,3回クルクル回らないと落ち着かない。店主に「若い人の考えることはわからない」と思わせてしまったら、勝手に括られた若い人に申し訳が立たない。


歩く気もしない

笑う気もしない

食べる気もしない

顔を上げる気もしない

人を避ける気もしない

深い息はしない

楽しかったあれもこれも

素晴らしく てばかげているあれもこれも

観る気がしない

心が動く気がしない

午前2時、眠れる気はしないけれど

朝が来れば気失うだけ

朝が来ても見失うだけ

生きていても失うだけ

死ぬとしても失うだけ

鼻孔の中が騒がしい

嗅覚を襲う闖入者

感覚を放つ救済者

80人の珈琲豆が囁く

一滴の万華鏡

口の中のパラレル

利口なざわめき

秘境の戦慄き

故郷の煌き

寄贈の瞬き

紀行の閃き

番いの羽ばたき

部屋に指す木漏れ日

かんびなシェルターとむぞうのスモーク

逃避の薫りは刹那の喜び

夢の中の夢

夢異常な夢

夢以上の夢


戸籍のかえ方

私の名前は「足が遅い」。近所やら、同年齢の人にそう呼ばれた。気づいたら、戸籍上の名前も「足が遅い」になっていた。「足が遅い」は、小学校の体育の授業の時に、4人参加の50メートル走で1位になった。現実感はないけれど、結果は結果だ。私はそれ以降、足が遅い人には一度も戻らなかった。戸籍の名前は「足が速い」にかわっていた。


現実は思い込みで出来ていた。私は完璧な善人を目指していた。「完璧な善人なんて気持ち悪い」という人は多かったが、完璧な善人に出会ったことのない私は、その実物をみたら意外と気持ち悪いとは思わない気もした。とにかく私には無理だった。完璧以外のものには常に辛辣だった。そんな風に生きていたら、肩が岩石のようにかたくこわばった。呼吸が小さな水溜まりのように浅くなった。「まともなやつになるな」と言われた途端、楽になった。「あなたのダメ人間なところがたまらなく好きだ」と言われ、好意を突き返すのをやめた。千代田線の座席の上で脱力した。起こりうる盗難と暴行に気を配りながら脱力した頭の中だけの思考は、短命の亀のように動じなかった。久々にテレビを観た。弛緩は緊張よりもストイックだった。誰にも気を使わなくていい日には、通る必要のない、斜行の歩きにくいトンネルを通り抜けた。時間の短さを忘れる自由で、楽になった。肉と骨を削った後の床掃除。人の話を聞かないでいるには人生が短すぎる。はじめて、亀を飼いたくなった。


無力感のキグルミに似合うコーディネートで無理やりドアの外に身体を放り出した。主体的なハムカツサンドをランチに食べた。。キャンパスと同化する白狸の喉は渇いて。夢の中で映画を観に行った夢から覚める。水が燃えて炎が凍った。猫が吠えて、金魚が泣いた。椅子の上に立ち、青空に坐る。あらゆる信頼が同時に家出をした。瞼の裏で芸術が共同生活している。定義の隙間からだけ経験が溢れだし、虹色のアマガエルと鉛色の犀のハイブリッドが生まれた。狡猾な秘密を狂い書きする。しょぼくれた犬のフォトグラフが飾られた、カレースタンド。優しさは誇らしくない。優しさは富を生まない?優しさは縋られやすい、それでも優しさを手放したくない。分析をしないまま分析をする。男性脳からリフトオフ。口にした、または書いた言葉への「変身」。白いベッドに画鋲を敷き詰めて退路を絶った。行列のための行列の最後列から香るコンビニおにぎりの萎びた匂い、赤と茶色のマフラーと地球の回転。義父母から届いたボーダー柄のギフトボール。遮二無二かっぱ巻きを食らうゲイシャ。地下鉄はスモークチーズと腐りかけのバターの匂いに包まれる。衣食住の伝道師は余生的な青春を謳歌する。コーヒのシミに似た輪ゴムを指で弾いた。体調の良い日は、太陽の系譜を辿る。


組体操の小出しのようなツイッターに、液体をぶちまけたら、Yのコンサートの誘いが届いた。雨の中、人を詰め込んだ渋谷を歩く。パルコの中の文房具屋でペルーのピンを買う。直感の出場権利を買う。冷やかすという言葉も浮かばないような寒さの中、ファミリーマートセブン-イレブンデイリーヤマザキと梯子をして、温かいほうじ茶とメンチカツサンドを買う。挙動不審なせいか、対面した店員が言葉に詰まり、「いらっしゃいませ」の声は居心地悪そうだった。NHKホールの屋根の下で、雨をよけながら、冷めてしまったメンチカツサンドを頬張る。開演30分前になったので、建物に入った。係員のチケットの切り方が雑で、券が斜めにちぎれている。よくみたら、席の番号の印字箇所まで切られていて、席がわからなかった。興行会社のスタッフらしき人に事情を話すと、驚いたような苦笑いの後に、申し訳なさそうに謝られた。その後、無事に所定の席に座れた。こういう経験をしたり、蕎麦屋で2回続けて、注文したものと別のものを提供されたりする私は、そういう星のもとに生まれたような気がした。地球と大したことないけれど不可思議なトラブルと縁のある星。悪くない人生だった。Yのステージは夢のような時間だった。これを観ることは決められていたことだったと思える時間。ステージが進むに連れYの歌声の調子は加速し、生の感情が振り切りながら、とめどなくスイングしていた。人間は動物だと思い出させるような、YUの自由なダンスが私のあちこちに焼きついた。気がついたら、身体が勝手に踊っていた。この日の2曲目の『JOY』という曲の、「いつか動かなくなる時まで遊んでね」というラインで吹っ切れた。その歌詞を黒いメモ帳に書き写した。「常に今が最高」とYは言った。終演後、携帯が圏外の建物から出て、メールをみた。これからやることが決まった。死なないために書く。書くを生きる。21時に夜明けを感じた。ようやく年明けさえも感じた。記号を離れた「あけましておめでとう」。

 


目が覚めて、携帯の画面をのぞく。待ち受け画面にうつるイルカの頭上に0時3分の表示。日を跨いではいるけれど、起きるには早過ぎる。もう少し、現実的に継続していけそうな起床時間ならよかった。この国のどこかに、いるかもしれない、毎日0時ちょうどに目覚ましをかけている人の姿を想像してみる。30代の男性。その人の顔に「毎日起きなきゃいけない時間が早すぎる」という不満の影や曇は感じられない。血色はよく、淡々と自分の仕事をこなす職人のような凛々しさがある。お湯を沸かし、パセリと玉ねぎの入った粉末スープを溶かし、薄いオレンジの液体で身体をゆっくりあたため、着替えて、出かけていく。僕は、新しい雑誌の発売日が今日であることを確認し、ベースボールキャップをかぶるためにヘッドフォンをするのをやめて、イヤホンを注文した。 昨日、人が多すぎて、手動で身体を押して動かしているようなスピードでしか歩けない、大きな電気屋で音の良さを確認しておいた、パイオニア製のイヤフォン。さっきから、染み付いた癖の逃れ方を探している。ネットを、他人の文章を、自分の文章を漁り読んで、1時間くらい過ごしてしまった。今は、受容も復習もいらない。5分前に呼び声を聞いて、2時からそうぞうをはじめた。バラバラを、ツギハギを、風やら雨やらに運ばれた土に埋もれて見えなくなった轍を線にするだけ。人の話はどうでもいい、と思っても、記憶から消えなかった人の話だけを忘れなければいい。2日続けて、人の話を途中で遮ってしまったことを反省した。唇からの新しい誕生を 、潰さずに受け止める。あれも、これも、聴くことではじまる。耳の形を意識する。昨日は隣の隣の駅まで歩いた。横に身体が滑り流れされるような強い風。目的地は違うけれど、風に臆さず快活な表情で前を歩く女性に励まされ歩みを早めた。競馬場に向かって歩いている、男性は地面に落とした食パン8枚を急いで拾っている。国道を抜けて、駅まであと少しというところで、急にパトカーがサイレンを 鳴らしながら反対車線側に曲がって加速したので、私の方に向ってくるのか(そう錯覚しような軌道でパトカーは走り抜けていった)と思って、心臓が縮みあがった。急に加速できないパトカーなんて無意味だけれど。やましいことは何もしていないけれど、怖かった。そのままパトカーが私を轢いていくように改変された映像が、フラッシュバックしている。ただ、私の前を歩いていた、男性とその男性よりも前を歩いていたヒゲの濃い男性が振り返ってパトカーの進行方向を凝視している。自分の時間を中断してまで、視線を向けるようなことには思えなくて、なぜだか少し腹が立った。イライラしながら歩みを早めた。腰を180度曲げて歩く、老女がいた。その後も、足や腰の悪い人を何人か見かけた。他人ごとではない。何の根拠もなく、自分はそうならないと考えてしまうのが自然かもしれないが、それを疑ってみる。今と同じが続いた試しはなかった。自分に対してすら説教臭い考え方に嫌気がする。電車から見える、土手と青空をみて、ジョギングがしたくなった。秋葉原駅に到着。目的地である行きつけの喫茶店へ向かう。はじめて会った人に、その店の場所を紹介するとき道順をうまく伝えられなかった。方向音痴で、地図が読めない生き物。あらためて、ここで道順を書く。秋葉原駅の中央通り口を出て、ヨドバシカメラのある方の歩道へ渡る。そのまま直進して信号を渡る。左に曲がったらそのまま直進し、ドトールコーヒーのある通りを右折する。通りを直進して3つめの曲がり角を左折すると、目的地の喫茶店が見える。落ち着いた赤色の屋根と「サイフォン式コーヒー」の文字が目印。思い切ってドアをひく。スピーカーからボブディランの『モダンタイムス』の2曲目がきこえてくる。店主と挨拶を交わす。「こんにちは」、まだ夕方だ。店の住民2人の姿がみえない。猫は「民」ではない。いや、2匹の白猫は国家や社会の一部じゃない。独立している彼と彼女は気ままに生きている。尊敬の対象の猫。「尊敬する人は?」という質問じゃダメだ。「あらゆる生き物の中で尊敬する存在は誰?」と質問しよう。3時26分、寒さが堪える。湯たんぽを温めよう。お湯のつまったペットボトルに薄い毛布をかける。アールグレイに千切ったリンゴをうかべる。久しく食べてないドーナツ気配を感じる。足元に妖精が落下している。一昨日の雨音が恋しい。喫茶店の先客は落語家のような話し方の気のいい社長とその部下。社長はこの店の常連で、「ザ・クロマニヨンズ真島昌利さんがバンダナをしていない時の姿を観たことがある」という話を彼からきいた。ハーブティーにするか珈琲にするか悩んた。深煎りのブレンドコーヒーを注文した。家で自分で淹れる珈琲よりは少し薄いけれど、しっかりした味のインドネシアの珈琲を味わった。小説の中の大江健三郎も数ページおきに珈琲を飲んでいた。店主に友人を紹介された。少し猫背のドジョウだった。小さい頃からの友達らしい。「ドジョウはお友達。ウナギは食べ物」と彼女は言った。正しさのための正しさが浄化されていく。猫のように「民」からはずれたい。今日も人生が短い。暖まりにくい憩いに火を灯す。疲れ果てるまでという時間無制限を謳歌する。人形から生き物にかえる。人間に成れた人はまだ少ない。 書くことの、自分を搾り出すような苦しさがすっかり薄れているのに気づいて、かえって不安になる。以前より、純粋な「書く」になっていることは間違いない。他人も、自分も「その調子」と言っている。ジッとしたら落ち込んでしまう。踊り続けよう。幸い、おとがめはない。あっても気にしない。「この話、大丈夫でしょうか?」、返事はない。きっとみんな眠っている。都合のいいように眠っている。健全な眠り。雑誌の中で誰かの結んだ髪が葡萄のように垂れている。哲学と酸素カプセル。データが消えないようにクラウドに打ち込む。ヒューマニティキーボード。食パンと不食パン。酵母を肌で感じる。文字列にに体重をのせる。遮二無二落ち着きを追いかける。湯たんぽの熱がさめていく。熱がさめても、アタタメナオスコトハデキル。パレードに目を輝かせる人を地下鉄でみかけた。ようやくクラゲになれた。「ありがとうございます」。4:44。強き人の書いた地図が自分には似合わないことに気づいた。楽しさの飼育員。職業が増える。添い寝と草枕。再開。男女の生誕、本当と嘘の生誕を創造する。タイプライター兼タイムマシン。操縦不能を解き放つ、ノールールの街。お決まりのドアを閉じて、真っ暗な海?に潜る。猛牛魚雷のように飛び込む。水の外では、フクロウがシャチを迎えにきている。コンバースについて歌ったワンヴァース。兵隊は栗のにおいのリップクリームをつかう。饂飩を愛する囚人たちは集う広場。学割の効く命綱。コブラツイストのような磨き砂。振り返ると気づく。ラッパを吹いてるガイコツが笑った気がした。骨の髄まで笑っていた。コイの鱗が歪んでいく。「たぶんね」と前置きして、悪いうわさをつぶやいた。

 

古の丘とターバンと緑茶。数カ月ぶりに、毎日会っているはずのビタミンの名を口にした。テープの剥がし後で星座と黄白いミイラをつくった。滑茸がポテンシャルを発揮した。液体状ののりでグリンカレーのにおいをけした。青山四丁目のハンバーガーショップでブロンドヘアーの少女がガソリンのような味のソフトクリームを手にしている。チョコレートの箱と読書灯。14時半の薄暗い喫茶店、カウンターには、郵便ポスト型のオルゴールと黄色いラベルのマスタード。老いた山羊が淹れた泥水のような珈琲と湿気ったホットドック頼む。死刑台の上のスルメイカと、哲学するシマウマが出てくる夢をみた。くすんだゴシップ誌とあざやかなかき氷。XTCが鳴らす発酵と熟成とフック。正しさにも真理にも本質にもコリゴリしたアルマジロになりたい。目が覚めると、手足が痺れていた。寝苦しい夢をみていた。夕方に飲んだ珈琲の効き目を感じる。充電していた携帯で時間を確認する。3:38分。早すぎず、遅すぎない時間。起きよう。キーボードを打ちながら、画面と向き合うことへの不安。新しく借りた6冊の本の中からどれを最初に選ぶかを決める。食後の温い眠気をこらえて、4人分の皿洗い。書きはじめるまでの弱気は浸っている惰性とかわらない。身体ではじめて、身体でおわる。安心と不安が天気よりは激しく移りかわる。滋味という言葉が似合う、80歳のレナード・コーエンの声。歌は歌い続けないと歌えなくなるときいたことがある。黄金の鹿の絵が書かれたラベルを貼った無印用品の黒いメモ帳を開く。昨日は一度も外出しなかった。今日は、図書館にいくのはやめて、世田谷にいこう。新しさについて誰かが語る言葉はひとつも新しくなかった。文庫本より小さい、(作家の直筆)原稿用紙を眺める。6枚ぶんの文字の少なさに驚く。数ヶ月間生地を重ね続けた、甘くてコクのあるアップルパイを仕上げなければならない。村上春樹の『風の歌を聴け』をリビングの本棚から取り出す。裏表紙には、ビーチボーイズの『カリフォルニア・ガールズ』の歌詞と¥690の印字。この国に消費税がなかった頃に出た処女作。心臓への励ましがきこえる日はやってくるのか。


北欧への憧れ。ずっと変わらず行きたいと思い続けている数少ない場所。空港が美しい。目を疲れさせない色使い。調和とエッジ。緑と赤とシマウマと番傘。食器が連れてくる異世界。階段と柱。姿に無駄がない。存在が自立している。ベルビュービーチ。潰れたレストラン。カプチーノとニュースペーパーと暖炉。夜が更ける。窓の外の車のフロントライトが光る。クリスチャニアのグラフイック。ノルウェーの緑。18の風車。スモーブローを食べる。ニューハウンのビル群は虹のよう。原稿は20枚突破とつぶやこうとしてやめた。慣れた言葉は白い砂糖のように身体と気持ちを甘くしてしまう。言葉の詰め放題に意味が詰まった。カエルはマシュマロを摘んでいる。


2015/1/26

5時に目が覚める。Twitterで「おはようございます」や「おやすみなさい」と文字を打って、流すことに嘘くささのようなものを感じるようになっていた。今の、今日の、気持ちにはそぐわない行動だからやめた。何かをはじめたり、おわらせたようなつもりにこれ以上なりたくなかった。休館日の図書館のポストに借りていた本を返却しなければならない。昨日かった、カップラーメンよりも安い歯ブラシで、ゆっくり歯を磨いた。昨日、一昨日と買い物以外の外出ができなかった。世田谷文学館に行かねばと思う。まったく読んだことのない岡崎京子だからこそ、呼び声のようなものを感じる。作者の過程と断片にふれるのは楽しい。それ以外の楽しいことは駅の長い階段を無心でのぼる時ぐらい。世田谷文学館までは家から2時間近く(1時間45分)かかるからそう思うのか。モスバーガーの4階で、何回も大声で電話かけている、トイレのドアの扱い方が乱暴な女性を物語にスカウトした。リンゴジュースとオレンジジュースの糖度が多い方を、当てるクイズに正解した。見掛け倒しではないかもしれないことを、みかけでしか判断できない、シュークリームをお土産に買ってかえる。