元祖犬

「このままではいけないことはわかっている」という標語は無意味だ。Wi-Fi回線で使っている古い携帯電話のガラスを無意識に砕いていた。液晶画面の左端にしかくでもまるでもない黒ズミができている。自分やモノへの暴力発作。いくつになってもやめることができない。ああ(精神の未熟さの発露)。そのせいで、人は遠ざかる。(仕事を)解雇された日に腕時計を住宅街のアスファルトに投げつけた時と同じように、大事なはずのポールスミスのシャツのボタンを思いっきり引きちぎった。「長く着るための服なら大事にしろよ」。自宅に帰る。記憶は大雑把なモザイクのように不鮮明。窓が開かなくなった部屋で、、やけくそで臆病な量のラム酒アールグレイ紅茶で割って飲む。眠気が襲い、緊張を欠いた自部屋で活動は停止する。感情を手懐けられないなら、せめて、長文を書くために時間を使え。言葉で駆け回れ。稚拙なのはわかっている。この下手さは去っていかないだろう。あちこちにある壁にインクをシャニムニにぶちまけろ。嫌悪にペンキを塗りたくれ。偉大な人達、先達、そこからはじめていたかもしれない。誰もが歩き方を知らなかった。想像のためにあてにならない脳味噌を使った。文章なら、人と会話をするときのように呼吸の乱れが伝わらないし、青ざめて引きつって縮んだバケモノ顔を隠せるからいい。ここまで書いて、この文章が昔書いた文章よりも酷いことの気づいた。その頃から2年近くを生き抜いたのに、どうして、後退している?自分を痛めつけていることは、文章の後退と関係があるのだろうか?萎縮しているからだろうか?「こんな退屈な文章を読むことは、お断りしたい。」まあ、その調子で、その感じで書いてくれよ。また何かを発見してくれよ。油と小麦と砂糖で際限なく食欲を猫撫したり、好きでもないただの習慣で感情を誤魔化して、ドツボにハマるよりはましだ。これまでの20数年、浸水して、藻掻くことを避けてきたのだから。特技など何もない。頭はすこぶる悪い。握力は低い。握力がなくても生きてはいけたけど。絵本で読んだチーズのように穴だらけの生き物。都合のいい記憶を毛布のように被って自分を守っている。感覚にリードされながら書いてくれ。寒風を防ぐための服の上に無様なマフラーを纏って歩く。電話で名を名乗るタイミングが悪かった。小学生の時、あまりに頭が悪かった。筆算のメカニズムがさっぱりわからなかった。板書をノートにうつすという掟を知らなかった。陶器を作った。食器に擬態した詩を書いた。自分が成長の遅い人間なのだという言語化することはできず。ただ、諦めに浸っていた。卒業式の訓練の時に、椅子の上で、いずれやってくる死を感じた。運動神経もない。縄跳び、逆上がり、跳び箱、舞い上がることのない木の葉。記憶の中のオレンジシュースが、洋梨のタルトが美味しかったのなら、それを信じる。この文章にはディテールが足りない、読み手への配慮以前の問題だ。説明不足。論旨はどこにもない。荒んだ精神状態が影響しているのか。何が言いたいのかよくわからない。他人の脳味噌はTどこでも借していない。欠伸をするな。屈伸でもしてろ。珈琲を飲むな。アルコールは消しゴムにならない。安全な水を飲め。心を渇かせ、湿りすぎている。遠くや近くの他人で溢れたインターネットを開くな。自分にないものを恨むな。やらずにわかったふりをするな。早食いをするな。歯を磨くのを忘れることを繰り返すな。言葉から手を話すな。


品川区の公園で赤い丸椅子に座れっていると、ツルツルの顔をした4足歩行の落花生が列をなしてやってくる。塀を越えた向こうにはお酒の味に似た煙草の匂いがする。夢の中には、まだ海がある。天使がいるという仮説は嘘くさいので、現実じみた海苔弁当に擦り替えた。このマグカップの中にだけ小説があると3回だけ唱えた。感覚が拒絶する嘘を書けば見破られる。聡明な隣人を侮るな。文章の中では、それも本当になるかもしれない。手を抜くな。彫刻刀のよる傷が残ったその「手」を抜くな。もういい。諦めろ。ますます酷くなっていく。今よりはマシな状況、マシな人間を目指すために生きてきたのに、過去の自分より、さらに、どうしようもない状況になっている。去っていった聡明な強気人を恨むな、こんなお荷物とは縁を切ることが目に見えた正解なのだから。使い古しのたわしのような世俗の匂いに鼻がすくむ。現状は惨めで薄い紙芝居。正常なメンタルを装った顔をして歩いていても、所詮、こんな有り様の実態。仕事もしないで何をしている。「こんな人間、 だれも雇いたくはないはず」もう、若くもないし、使い道がない。あらゆる出来レース面接ではそう伝えるよ。お前には何の取り柄もない。当たり前だ。ろくにコミュニケーションを取れずに、どうするするつもりだ。死んでくれないか。困っているんだ、でも、何とかしたい。何とか出来なければ、自己嫌悪が育つ。憐れで涙がでる。この存在は居場所のない無意味な札のない帽子。こんな文章を書いておいて何様なんだ。退屈な生物であることが、手に取るように分かる。脳味噌の中に煙がたって、よろしくないな。痛みがある。馬鹿馬鹿しい言い訳をするなよ。いい本を見つけて読むことが出来ても、私の無能は変わらなかった。書物の中には息の長い知性がある。強度のある自立した表現と文脈が理想の暮らしを送っている。過去、現在、未来の他者への敬意、親切、ユーモアがある。自分でさえ、そんな風に生きることは不可能でないと感じられたら、生きることが多少は楽る。数分の幸福。それは勝手な思い込みかもしれない。理想に負けてしまう。


暮らしを共にしている人のために料理をつくる人。サウンドデザインされた臓器に体の重みと熱ををのせて投げつけるような優しいメールを、恋人に送る人。勝手を知る友人や恋人が、どこに行きたいのか、何をしたいのか、自然にわかったことがこれまでの人生にもあった。身近な人を失った後は、痛みしか残らず、5日間寝込んだ。贅肉と筋肉が硬直している。ドン臭いリズム。ぼくは何の役にも立たない。良かったことに思えた、経験も暗幕に隠れて見えない。生きる資格はない。履歴書に書けない。他人の言葉による救いは、どれも期限付き。本当に美味しい珈琲に、鼻を鳴らしたとき、舌で触れたときには、生存への希望を感じる。あの珈琲をまた飲みたい。ノイズのない透明感と深いコクとが両立していて、他の珈琲とは全く異なる重層的な甘みがある。代わりのいない珈琲。傷や痛みを洗い流すどころか、生きていくことに何も問題無いと教えてくれる味。慰めのための作為もない。それを飲んでから数時間、心が平穏だ。珈琲は身体を冷やし、精神を過敏にさせるからやめるべきだと思う時もあるけれど、どうでもいい。「他人や珈琲に甘えるなよ。他人や他珈琲の力で浮上させてもらっても、それは制限時間付きなんだ。」自分のうちから出る言葉で書くしかない。自分を救うしかない。見捨てたくなるこの男を救うしかない。起床知らずのアロマを地上に引きずり出せ、適切な甘みを引き出せ、苦味を活かせ、渋みから逃げずに退治しろ。深い呼吸と自由で粘れ。粘土細工の延長。「頑固な感覚を撃ちぬくパンチラインが目覚めてくれたら、後に彼も目覚める」


2014/9/16

異国の感覚には届かない。イメージのための小道具が不足。集中と貪欲、根気の育成に苦戦。
みちのくのほうにある未知の国。木々の青さ、空の緑、火傷しそうな雪。空から白い海豚が降ってくる。「キューキューキュー」、海豚は穏やか顔で笑う。ほうじ茶みたいな味のコーラを飲んだ。チーズの匂いを周到に嗅いだ。痛くないように、鼓膜を撫でる。脳内の空気清浄のため、月夜に海辺を歩いた。砂漠は激怒している。にわとりのぬるさに誘われて、昆布の出汁取りをはじめた。投げ出さず没頭する時。滋養をゆっくり絞り、捻り、やわらかく撹拌角。角を磨いて、何者かに差し出す。ここまできて、ようやく差し出せた。今日は6時10分に目を覚ました。湿気ったドーナツが頸動脈を締め付ける。この朝は生命の収穫時。無色の朝、非確定の朝、そらまめの朝、ブラック珈琲よりも、カフェオレが似合う朝、書き直しの朝、黄色いワンピースを初めて着た朝。見えない胡瓜が生えてきた朝。真の夕暮れの愁感。。希望の単位は平等。トランペットがアボカドとクリームチーズとコンビーフのサンドイッチを作る朝。カラフルな小鳥の日常は祝祭に似ている。ユカタン半島ルチャドールは時間差で出勤する。焼きそばは24時間待機の警備員。シロクマは哲学する。梯子にはヤリイカが佇む。長年の猫背が治った。健全な風邪に 引かれた。言葉の胎児が巣立ち、次の言葉が孵った。言葉の喫茶店に土地や道具はいらない。死の灰色を感じるこの冬をあたためる一杯をマグカップに注ぐ。自分で親を選べるならば、朝のこどもになろう。

 


ドブ川が空まで昇っていう。気圧が針のようにこめかみを刺す。コオロギの視線は、キョロキョロしている。俯せで鳴く灰鼠。見慣れた空を待ちながら泣いている。沼の底の嘆きに疲れたきった後に、生存の急所を掴むような希望に出会う感覚を知る。信じ難さと信じ易さの波に酔って目眩が起きた。景色が反転。狂った夜は、狂った朝に変わる。採れたての柘榴色の心臓が古い樹木に成っている。恐ろしさは、恐ろしさのまま、それでいて恐ろしくなくなる。傷口をなぞるような惨劇も喜劇に塗り替わる。脳裏には、カート・ヴォネガットジョン・アーヴィングの微笑みが浮かぶ。誰かの死でさえ、可笑しみを禁じ得ない。夕食の他愛のない話が嗚咽するほど悲しい。生と死の中間までベットに乗って移動する。黒煙の立つ羊歯の中を蝦夷鹿のカルテットが歩いていく。マシュマロ製の地面に何度も転びそうになる。気狂いのような業だ。絞り出してカラカラになっている。初めて味わう痛みが脳髄を刺す。車という文字ではなく歩という字で道を進む。路上のハーモニカ。紙から飛び出した偉人像。自立してダンスする細胞の活力は無尽蔵。まだ見ぬ麻薬との入籍の日まで飽き足らずにうろつき回れ。もどかしさと敗北と懺悔と権力への嘲笑。泳ぎなれていない狂気の海で呼吸困難。バナナの魔法。使い捨てという永久住居と血反吐と水の流れを道具扱いした、張本人を吐き気が襲う。凡庸という参加賞。許しという排外。


綿菓子のように豊かな毛並みの小太りな白猫は濃いミルクティー。まだ幼いスリムで知性と野生が混じった女の子の黒猫はホットココア。住宅街を覗く猫。ナマケモノの賢さ。見えてないものしか見ない。誰もが飽きて、誰もが忘れても、猫だけは飽き足らない。諦めているようで飽き足らない。左の耳朶で始まって、右の耳朶で終わる。そしてまた左の耳朶で始まる。ふかふかの毛並みのマットで上手に受け身を取り、スクっと起き上がる。猫になって生きる。猫の時間が流れだす。地面の感触が近づいてくる。部屋の灯りが優しい。生命の実感が塗り変わる。無理に付き合うな。何とか生きていける場所を目指して歩くことを許す。厳しさの行列に並ぶことはなくなった。


目が覚めると、鼻の先で終わりが香る。はんぺん型の柔らかい幻滅があばらをミシッと 縛る。叩き売られた海苔巻きの運命。臆病を知らせる微量の血。不健全な愛着の確かめ方。残った傷は皮膚にも心と呼ばれる場所にも暮らしている。飄々とした目的と気難しそうな結果。人が去る。あなたのことを知っているけど言葉が出ない。飼い主たる空模様様。ここ最近の生活。手の中のペットボトル。真っ当な賛否両論。似て非なる景色。浅薄な転倒。諦観と無感覚の昨日。直感と主観の今日。言葉の魔笛が活字と農園と商人を誘き出す。行進する声と呼吸する間合い。流動的な価値観が、探究心に養分を送り出す。慣れ親しんだ味噌汁と黒緑の旗。旨味という単語の錆がこの目に見える。躊躇いと嗅覚で和音を探し当てる。感覚の静かなハイタッチか?1匹の蝿の生涯か?飛び込み続ければ怖れはなくなる。その舌に届いてからが本番。軟体動物のように形を変える円盤。摘みたてのギラつきと血と泥のストライプを泳ぎ切った冷静さの循環。ようやく形をなした敬意。溜息を洗い流す山頂。単調なリズムが変わりだし、雲の上に浮かんでいる。海坊主が弾くブルース・ギター。満月の美しい泣き顔。生まれと名を知らずに熟成を感知したい。童心のグミを噛みしめる。白紙と机に住んでいる身体。慣れてしまった車輪。靭やかな身体が自活する。毒蛇の笑顔を知っている。その犬は自分の年齢を知っているか?大丈夫かどうかなんて自分で決める。

2013年11月の寒さ。ロングコートの匂い。極上のスモークハーモニー。返却期限付きの平穏を視界から外せ。盗んだ脳味噌で朝食を作るな。受けとめることが想像と優しさの厳選と具現化。予測を越えていい。嘘つきでもいいから、飛び込んだ。真夜中の長い距離は旅のようで嫌いじゃない。記憶と身体の痛みがあれば生命を維持できる。怖がるな。死なない。「大丈夫。やってごらん?」血管の言葉なら信じればいい。心理学者が好きな白菜。同じ言語なのに違う惑星の人。味の素と内輪話のスクリーン。親友以上に時間を共にする怠惰。「不必要、不必要、不必要、お前の名前は今日から不必要だ。」惨めなシャウトと罰当たりの路上。ああ人がいたんだ。この世にはも人がいた。忘れていた。生物のモラルからの逸脱。口にしなければ効き目のない毒薬。歩いてる場所が全く違って見えたら忘れていい。忘れていい内臓が荒れるような赤い毒と黄色い狂気を潜り抜けた涙が降った時は、必ずまたやり直せる。ニガミとエグミの過去が走馬灯になって廃棄される。祝福以外のアルコールを禁じた。短気を清めるための水を飲め。風の音も本当に聞こえる。森の匂いも右脳に流れ出す。長い息と出会う場所は長い道路。立ち止まるのは時々でいい。空想の中では、毒キノコさえ私を殺せない。人にも出会える。手足と顔を汚した末の発見が生命の実感。慰めようとしていない人にほど、励ましと肯定を感じる。火鉢に手をかざして引き篭もる青年の諦観。 兎が好きな老紳士。バームクーヘン型のリュックサック。サングラスをしたキツツキ。タバコ屋のルチャドールムーミンの蒲焼き。色白のブラックタイガー。知恵の輪好きのアザラシ。ロコモコが似合うシンガーソングライター。


午前3時、人気がない時間の穏やかな灰色の空気透明さ。一息で走れる距離。見えない
筆と鱗。言うなれば胡椒、言うなればチーズ。生理的で書き換え可能なマニュアル作り。「トマトさん、トマトさん!、トマトさん!?焼かれるのと煮込まれるのと、直に齧られるのとで、どれが幸福?」見つけてくれてありがとう。受け取ったあなたよ、ありがとう。不本意だけど残酷な現実が立ち上がる。受け入れなければ、堂々巡りが額を打ちつける。まずはお得意なやりかたで構わない。格好を気にしたら動かぬまま、腹時計が停止する。骨の手触りその色は本当に白いのか。漬け込んで。負荷の掛かりやすい場所に付け込んで。退屈でも続ける。最近じゃ気にならない。本当はまだ気になる。諦めの悪さを着こなす。自信を着こなす。あんまり食べない方がいい。あんまり食べないことはナイフを研ぐこと。あんまり食べないことは目覚めに手を触れること。あんまり食べないことは舌をはじめて使うこと。あんまり食べないことは再開を引き寄せること。あんまり食べないことは虫の姿になること。あんまり食べないことは欲望を育てること。あんまり食べないことは国を作ること。

 

皺さえも弛みさえも褐色の鋼と凄みに変わる。皮膚と肉と骨のビート。「ヴォン!ヴォン!ヴォン!」
年の功?いや、若き日以上の勝ち気と大人げなさが、国技館の空気を震わせる。嗄れた声は、まるでボブ・ディラン。黄色と黒は人であり虎である。これが男。生まれた場所に近い体育館。確かに産まれた場所のような気はする。根拠ないが、そんな気がする。生活感の弾き語りパレード。サングラスの下に照れくさが滲むアロハシャツ。吟遊詩人という言葉を当てはめるのは、気楽すぎる。もっとシックリくる、手応えのある言葉を探さないと。素直で孤独で傷が疼く言葉を、何度も繰り返してしまう。淡々と劇的に生きている。よく知らないけれど尊敬と呼ぶ他ない。新しい清潔さ。純粋さ。手付かずの気ままさ。今も笑顔にだけは残る名残り。切実に約束していた5歳児。不器用でもDIYを実行。教室と時間の残酷さ。あの日から隠したくなった。紋切りのモンキー。「そういうもんだよ」という人なんて、嫌いになってもいい。逃げ場のない田舎道。無意味は無意味でしかないわけない、あの時間には別の名前が必要かもしれない。資質ゆえの差別、小さな音でも大きな音でもそこらにある。心変わりの身体感覚、覗きこんだら大きなアザがある。消えない。これは。清々しくもある。運は絶滅していない。諦めたらその子は可哀想。救えないことにするのか。知らない町で置いてきぼりにされた時に、若いカップルが道案内をしてくれた。名前も顔も忘れてしまったけれど、人間と生きることを肯定してくれる記憶。人が優しいということを否定出来ない。まだ生きなくては。まだ生きなくては。ロープを引っ掛けて繋ぎとめよう。人間らしくなくて素晴らしい。勘違いせずには遠くまで行けない。これが信頼に足る歩行器。定義を移り変える感覚。擦り減らす。補充するための奔放さがスリ減らす。独り歩きするマーベラス。詞が書けない。それは血という字を書けないということかもしれない。きっと音はある。音痴でも音はある。掴んで折り曲げろ。曲げろ。曲げろゆっくり。傷みを皮膚に転がしながら。身体で空気を揺らせ。想像という名の山菜を掘り起こせ。動き出せた時の匂いと白と茶色のボーダーの地面。自己決定を遠ざけた赤い被り物。その合間だけは確かに開かれていた。いや、今もそう。疎かにするな。仲間に似た発泡スチロールの庭。意識を失え。思考を失え。身体を失え。何かでさえなくなれ。 誰も教えることがない。南の京という黒いアーケードを抜ける。左にはよそ行きの酒屋。右にはシャイなペットショップ。左には目的を失ったラーメン屋。右にはコアラを溺愛する美容室。全速力で色鉛筆入れさながら景色。心の平穏をくれる友人である階段を昇る。極私的なアンテナは冴え渡る。疲労が最愛の水。労働という名のスポーツジム。ブラックチョコレートの夜を歩く。ミントタブレットを飲み込んだような息切れがして、しばらく立ち止まる。今では必要なくなった線路。小蝿川中学校の脇を通り抜ける。挫折と落胆の苦味が感情を吸い尽くす。地球人であるよりも、まず宇宙人であることを噛みしめた。昼寝をしている小さな穴を通り抜けるための諦めの悪さ。似合わない数式を解いた後の後悔と干乾びた身体の透明な美しさのギターリフ。器械的で奇跡的にコントロールされた時計の針の音。テーブルの右端で夏の終わりの役割を果たすクリームソーダ。その人を神様と呼んだ声を終身刑にかける。ダラダラと惰性というクラスメイトと連れ添った時間が掃除機に吸い込まれ、あくる日のはじまり。顔が欲しい。腕も欲しい。腰も欲しい。足も欲しい。肉体に染み込ませた甘味料とスパイスを根こそぎ吸い尽くしたい。


時間割の中の、素直という寡黙。講師は茶色いポメラニアン先生。敷居の低い正門を抜け、休むことなく開いた毛穴が互いの承認を誘う。具体的でも代替行為でも構わない。胸の中の炬燵のスイッチを入れた。時には肉体畑に生えた知能だけで考えろ。ガラスを割るな。退屈の素振りを叩き割れ。珈琲を飲むな。安全な水を飲め。電話と絶好。無人島の模型の中の生活。自由という言葉の遺伝子は組み換えられた。毒ガスを抑えこんで蕪を育てろ。こっそり気づかぬように馴れ馴れしく拍手を捧げろ。五つ子の親としての責任を果たし、生命のキャンデイを噛まずに舐めろ。侮りがたきメンテナンスを知るのは、堂々巡りの倦怠感。プリンとカラメルのようなバランスでは成立しない陰と陽。俯きながら公園を目指す。信号機とメイプルシロップの腰掛け場。理解は誕生の日に盗まれているとしか思えなかった。隠されることが当たり前になった、長帽子を被ったインディアンの小人すら見つけられない。見えなくても気づける。飲用以外の手段で芽を出すサイケデリックフラワー。塀を越えた向こうには白ワインの香り夢の中にだけはまだ海がある。天使がいるのは嘘くさいから、海苔弁当に擦り替えた。このマグカップの中にだけは小説があると3回だけ唱える。感覚が拒絶する嘘を書いて、誤魔化しても、喉元のつかえはなくならない。身体の衣とソースを潜らせた言語を使って城を立てろ。その時だけ、身の丈は伸び上がる。諦めの誘い。下馬評と復讐のロープ使えば、文字そのものが無へ。ますます悪化。今よりはマシな状況、マシな人間を目指すために生きてきたのに、過去の自分よりもさらにどうしようもない状況になっている。ガス欠と名付け眠りた時間に足をバタつかせる。無心で不格好の恥じらいを振り切る。昼時にイグアナと象が寛ぐ平穏を、一瞬で、虚飾でも大仰でもなく、一瞬で荒れ狂わせるメール。局地を襲う天変地異、修繕はいまだ終わらない。報復というベクトルの反対の手応えを未だに知れない。遠くにあれど、自活の息遣いを求める意志までを嘘だというそこのあなたを許したくない。顔を合わせば傷口は広がり、消えるという言葉でまるまりたい怠け者の嗅覚と1ヶ月遅れでなりだした体温計。涙を流せない。ジェンガの出来ない体になった。閑古鳥と玉乗りのオブジェ。停滞と病の糠に使っている、発酵ではなく腐敗。内側の淀みと害虫は外観を貪っていく。家族写真の角で切った額の傷を消毒する理性に感謝した。見抜かれている。短気的な記憶と長期的に消えない水溜まり。「その自信のなさ、気持ち良いね」、『その筆圧の高さ、面白いね』、電車を乗り継ぎながら、半径30センチをぐるぐる空回り。「敢えて、あなたを選べと?」、無責任だね。誰もお前を必要としないよ。去っていった生き物を数えてごらん。金縛りみたく効いてくるから。若さも老いもわからない。鯱の如きそそりたつ恋の匂い。ああもう一度。ああ食いしばる。白い歴史と黒い現在。羊と遊ぶのはなにか違うよ。捨てないでって言いながら、捨てたのは善人のあなた。偉大な人達でさえ演劇にキャストされている。労働の感覚。受験という赤ら子を撫でて真っ白い顔で微笑んで、斜めの通りを練り歩いた。あくまで生活そのための生業。錐で中央を貫くような、集中で気配を嗅ぐ。届くわけがない。狂気の観覧車を橇に乗せて、斜行のない場所を滑り降りる。全て見抜かれている。記号や単語による定義に頼らず、誠実な公平性を差し出す紳士は文字の中に。眼と手の届く距離にそれはあり続ける。手持ちの大地にキレの悪いスコップで穴を掘る。疲労と迷いでエクササイズ。見物客様を名乗る利便性。追いつけない。着席と縦横無尽の並列。メキシコ、スウェーデン、ロシア、アメリカ、イタリア、ドイツ、フランス、イギリス、インドネシア、中国、カナダ、ユーモア、サイボーグ、不眠症、節制、全て通りすぎて忘れていく。自分のため。確かな虚しさ。面倒くさいを避ける事が最善になってしまった。無謀の声によりかかることが。もっと、傷みのある出会いのために、日常と約束のために。乗り越えたい、生存の意味は呼吸だけでいい。不自由は終わる。隙のない彩りと魂の切れ端。追いつけない。生まれ出るのは持ち前の退屈。交じり合わせたい。もっと、もっと退屈を後援する。無を噛み続ける。優しさを停止させない。恋人にプレゼントを送る人。暗黙の慣れ合いに跨がらずに、息が切れるまで目覚めを繰り返す。嗅覚、センサー、発見、幸福な収奪、ポストの中のお惣菜、あらゆる内側を動員する。何をしたいのか、わからないようでわかる。それはこれまでの人生でもあったことだ。失えば5日間寝ているしかないような痛みしか残らなかった。

贅肉という鈍重ペーストが支配する。欲しいものそれこそが物欲。職人という名の、木の実コレクター。純粋無垢な雪だるまが暮らす和菓子屋のウインドウ。嫉妬が食い尽くす。選ばれないまま終わる役割。確かにそうだ。歩く身の保全。歩く自己保全。あなたもそう思うでしょう?親切な道を教えず、己の心の傷を舐めることを優先した。追い詰められるほどドツボにハマった時間。負い目、負い目、関わった人には負い目以外しかない。それが25年の成果。ああ楽しい。切り抜ける。折り返しを越えて。ようやく祈りを信ずる。傍観と忍従の施設に詰め込まれる気配。逃げる、逃げる、逃げる。古傷を認める。常に忘れない。口の出せば侮蔑が襲う。居候を抱え込む。怠惰で小さなドブ川の流れ、その景観の変動には、物質的遊具の廃棄が必要だ。悪魔の飼育員になろう。それなりに可愛い子供服を着せた毒を抱く。悔しさでマットに大きく飛び込んで、諦めを逃がす。無意味を承知で施錠を放棄する。ブーイングとボーリングは好調の印。敢えてである言葉を欲する。息を潜めることが激しさの極致。幼い否認。定義の道具を持たない。この世は個別ではない。ルールという宗教に手を合わせている。修復可能、手遅れでない傷、娯楽という好奇心。忘れて微笑む。この立場は心地よい。歴史ある同じ名前さえもオマエは捨てろ。不可能とだけ連合っていろ。見えるのは現在、過去と未来に繋がれた現在。ああ大丈夫。割りと大丈夫。かなり大丈夫。大丈夫じゃないということが大丈夫な証。丁寧に手を繋げ。移動に相応しい曇り空。黄緑色の腐敗と溶解。醜い灰紫は見抜かれた。いつか、望むなら肯定の犬笛を吹こう。何度も道に迷っている。何度も行き過ぎた。そんな習性だけは恨まずにこれた。思い込みという兄弟で見誤る時はひたすら怒りで息を荒らげて、感覚にささくれがたち、鈍くなった。孤島の会議所で作戦を賢者というより職人のように練り捏ねた。息継ぎと集中のタッグワーク。目に見えぬ濁りの待ち、停止信号を接待しながら、暗躍の機会をギラつきながら探す。水位によって定義されない深いプール。誰にも似ていない名前は、無意識を放鳥する。観念的な羽ばたき。異国の希少な生存者。非ハイブリッドな天才児は、2段階の起床を体験させる。拒絶されたと叫ぶ動物のみを、向かい入れる。甘美な液体の泳ぎ。マグロでありながらカツオでもあること。アザラシでありながらペンギンであること。似ていなくていい。届かないことを称えろ。創造だろうが、太った猫であろうが、珈琲だろうが師であるものに習いたい。生存の触角が反転した時の感覚を抱え続ける。報復を廃棄する。インプロべゼーションの手触り。文字からの離脱。種からの離脱。星からの離脱。武蔵野と月のスクリーン。留まらないヨーグルトの撹拌。生存する肉体が星になる。到達するべき、2時間19分という儚さを再降臨させる。