冬の犬

 

 

狂気を呼ぶ季節

 

 寒い時期に、わたしの精神と肉体はおかしくなることに気づいた。夏は仕事周りや人間関係も落ち着いていて、冬は奇行に及びがちで人間関係の終わりを多く経験してきた。振り返るとそんな気がするし、きっと間違っていない。冬場からまだ寒さの残る時期の春はわたしは鬱っぽくなりやすいです。寒さは憂鬱と相性が良いのか、今日も寒くておかしくなりそうでした。真昼間から麦焼酎を入れた湯船につかって身体を暖めてからパソコンに向かっています。寒さの狂気を乗り切る自分を書いて労ろう。

 

空きっ腹に文字

 

 文章を書くことは空腹に耐えること、或いは空腹と仲良く付き合うことだと思った。この文章は昼ご飯を食べずに書いている。腹が満たされていたら文章を書けない。身体に空白が、身体に抜け道がなければ言葉は出てこない。文章はうまれない。文章が今以上に書けなかった頃のわたしは、空腹に耐えらなくなったわたしでもあった。今は大丈夫、過去よりも書くことのために生きることができている。空腹を放置している今の状態を「ハングリー精神」と呼ぶのは少し違う気がする。ギラギラでもメラメラでもない。名前なんていらない。メシを食うより、文字を書くことが今は生きること。その状態になれたのは本当に良かった。ドライフルーツとかナッツを摘まむくらいはいいのかもしれない。今は白湯と呼べないくらい温くなった水を飲んでいる。沸騰を通過して常温に戻ってきた水。

 

 風が吹く時

 

 このブログは全く人に読まれていない。具体的な感想を誰かから聞いたこともほぼない。新しい記事を書いても、アクセス数が0の時もある。あまりの無風状態を寂しくく思うこともありました。

 

 昨日夕方くらい、黒いナイロンのパーカーの上に冬用のコートを羽織って自転車出かけますに乗って図書館へ向かう途中、ふとある言葉を思い出しました。わたしには文章の師のような存在がいて、直接的に文章を書く上での助言をもらったことがあります。彼は「無視され続けろ」、「誰からも評価されるな」と言っていたのです。それを思い出して、このまま0アクセスでも別に何も問題ないじゃんと素直に納得しました。誰かに読まれなくても、感想を聞けなくても全然問題ない。寧ろそのほうが面白いのでは。師が何度も繰り返し口にしていた状況を自分自身が経験していて、漸く彼が言っていたことの意味を身体の底から納得できた。ほんの少しだけ追いついた気がして、力がみなぎってくる感覚がありました。読まれようが、読まれまいが関係ないと思えたら、自由に書きたいことを書くことができるようになった気がします。何も怖くない。この調子でいこう。次はその師について書いてみます。