はじまりはいつも犬

わたしは文章が書きたかった。ただそれだけだった。文章を書くことが夢で、文章を書くことが生きることそのものだった。いつの日にか自分の文章を紙に刷りたいと思っていたけれど、それ以前に文章が書ければ幸せだった。それだけが情熱を注ぐ場所だった。文章を書く時間だけが無我夢中の時だった。そうだったはずなのに、それすらできなくなっていた。わたしは文章を失った。

 

 文章を書いてようやく生きていくことができるはずのわたしは、気がつくと文章が全く書かなくなっていた。文章が頭に待った浮かばなくなってしまった。母語である日本語を最低限使えているのかさえ怪しむようになった。本が好きで、活字が好きだった私は言葉の書かれているものと縁を切りたくなっていった。今まで読んできたもの、血の中に流し込んできた文章の呼吸や文体の跡は何だったのか。わたしは言葉を使えない。わたしの日本語は疑わしい。反復とは血肉になるとは何なのか全くわからない。聴いてきた音楽や観てきたプロレス。自分で何度も淹れてきて飲んだ珈琲。もう二度と会うことのないかつて友人だった人達。みんなみんな何処へ行ってしまったのか。わたしはもう退屈な文章しか書けない。退屈以前に言葉がもう浮かばないんだ。文章という隠れ家も活字という栄養と燃料をもう捨ててしまおうと思っていた。こっそり諦めて、ひっそり去っていく。それでいい。

 

 そんなわたしでも、最近は詩のようなものを書いている。詩について何かわかっていることがあるわけではない。いい詩のレシピなんてないし、自分の書いたものが詩だと言っていいのかもわからない。詩を書き続けられる宛はない。テーマが浮かんだという手ごたえもない。今はまだ力尽くの詩なのかもしれない。詩を書くことは難しいとは思っていた。「詩」といあってないような形を意識してしまうことで、息苦しく狭苦しい文章を書いてしまうことを恐れていた。「詩を書け」と言われることもあった。「オマエの文章では詩がいちばんいい」と言われることもあった。しかしわたしは詩を書き続ける自信がなかった。詩を書く根気が駄作を書き上げてしまう恥に負けてしまい、筆は止まり、身動きも取れなくなった。

 

今となっては何も心配することはなさそうで。どうにかこうにかわたしは詩を書いている。(自称)詩を。書くことが楽しくなっているのは確かだ。詩を書くことに不自然さは感じなくなった。他人からの影響が自分のにおいを消してしまわないように、詩の不味さに陥らず、詩の美味さを引き出したい。伸びをして、息を深く吸って吐くように詩を書けたらいいなと思っている。くだらないもの、駄作と呼ぶしかないものもたくさん書くことになるだろうけれど、これから毎日書くつもりだ。書かなければ何も変わらない。文章も恥もかくことでしか成長しない。指先と手首に赤い血と青い魂を流し込んでどうにか詩を書いていきたい。詩を書くことが呼吸になればいい。詩を書くことが目覚めであればいいい。詩を信じる。生きて死ぬ人生を信じる。今日から毎日続けていく。たまたま今日がはじまりだった。もう書けない、書かない日々には戻りたくない。戻る気はない。苦しくても、忙しくても書くことによって目の前を拓いていきたい。

 

わたしは元々小説が書きたかった。小説そのものになりたいと思っていたこともあった。しかしわたしは口語調の文章が書けなくて(あるいは口語調の文章を書くことが苦手で)、登場人物を作り出す能力がなかった。独白のみのインチキシュールレアリスムインチキビート文学、インチキ自動書記のようなものを数百ページ書いたこともあった。自分自身でもその文章を推敲し、一応小説と呼べる形になおすことすらできず、そんなものを書いたことを大いに後悔したこともあった。

 

気がつけばわたしは小説という形や名前に囚われすぎていた。小説で自分の頚動脈を生かさず殺さずな加減で締めつけ続けていた。今でもいつかは小説を書きたいと思っているけれど、直ぐに小説が書けなくてもいいという風に考え方を変えました。別にエッセイでも詩でも小説モドキでも構わない。今書けるものを書けばいい、どうにか血の通った自分が生きるための文章さえ書ければそれで構わない。退屈になってしまっても、まず書かなければ文章自体が変わっていかない。だから明日も私は文章を各。人に読んでほしいという気持ちは当然あるけれど、今は技術と心を少しでも磨きたい。自分自身が自分の文章を良い文章だと思える日まで動きを止めるわけには行かない。勇気も恐れも震えもすべてをここに記録したい。そういう宣言です

 


人はどのようにして作家になるか?

まず、当たり前のことだが、ものを書かなければならない。それから、ものを書き続けていかなければならない。たとえ、自分の書いたものに興味を持ってくれる人が一人もいなくても。たとえ、自分の書いたものに興味を持ってくれる人などこの先一人も現れないだろうという気がしても。たとえ、書き上げた原稿が引き出しの中にたまるばかりで、別の原稿を書いているうちに前の原稿のことを忘れてしまうというふうであっても。


(前略)さて、ひとはどのようにして作家になるかという問いに、わたしはこう答える。自分の書いているものへの信念をけっして失うことなく、辛抱強く、執拗に書き続けることによってである、と。

 

アゴタ・クリストフ(訳:堀茂樹)『文盲』白水Uブックスより

 

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