犬10

今日も目覚めはよくない。早起きできない。お酒も残っている。何となく人に会うのがこわい。一書かなきゃ落とし前はつかない。余計なことをする時間を埋めていく。
いつでも書けるように、iPhoneのバッテリーを交換した。これが新品?と思うくらいバッテリーは熱を帯びやすくて、充電の持ち自体もあまりよくはない。ツイッターのアプリを消して、バッテリーの減りを抑える。リチャード・ブローティガンの『ブローティガン東京日記』だけを持って、日銭稼ぎに向かう。間接的に日本人によって殺された彼の叔父の話からはじまる詩集を持って。

 

とにかく書くのがこわい。つまらないことしか出て来ない気がして。逃げたい。自分はそもそも逃げたい人間だ。死ぬほどやりたくないタイプの労働を少しでもうまく乗り切れるように、spotify長渕剛さんの新しいアルバムを聴いている。彼の歌のような苦虫を噛み潰すような気持ちが働いている時に浮かんで来る。気持ちではないかもしれない。そういう世界なんだなと考えてしまう。陳腐だ。どんな作家も最初は三文文士だという言葉を信じて。インクで恥をかいていくような、日記レベルの文でも、何もしないよりマシだと思っている。私小説でしかないものはあまり好きではないから、フィクションを書けるようになりたい。私小説のようで実は私小説じゃない物語は好き。


死ぬほどやりたくない仕事を、今やらなきゃいけないとしても、信頼できる誰か、自分が生きていることを少しでも認めてくれる誰かが「おつかれさま」と言ってくれたら、それだけで何とかやっていけると思った。甘い考えだけど、本当のこと。例えだけれど、自分がどうにかなってしまった時に、骨を拾ってくれる人がいたらいいな。


勝負をしないくらいなら、惨敗でも負けることをどんどん味わいたいというのが、昨日の夕方ぐらいに浮かんだこたえです。こたえなんて言い方がらしくない気がします。ここまで書いて、バッテリーは90%になりました。アプリは1回落ちました。自分のしてきたことや、考え方の、何もかもが間違っているかもしれない。けれどこうして生きています。暑いので、お身体に気をつけて。


こんなこと書くべきじゃないのかもしれない。余計にアンタッチャブルな存在になってしまうかもしれない。自分が招いてしまったことだけれど、どこか自分の難儀な綱渡り人生を蔑ろに捉えられてしまったような気もして。相変わらず、僕は過剰に人に期待しすぎているのだとわかりました。そして、やっぱり「孤独」。でも、大事なものもたくさん持ち帰れたはず。

 

今まで、ここにいろいろ書いて、地の底から這い上がろうとして、言葉を紡いできたことはいったいなんだったんだろうとも思いました。もちろん、あきらめるつもりはないです。今は小説の形をしている文章が思うように書けなくても、自分がもがく場所が原稿であることはかわりません。実現しなくてもいいけれど、今は誰かと話したい気持ちがあります。わたしの孤独はニセモノでしょうか?それが無理でも、ひたすらこの先を歩いていきます。