狂熱犬

 

 文章が少しずつ書けるようになってきました。できるだけ空っぽでいることで文章が書けるようになる気がしました。誰かのようになりたい、誰かのように書きたいという思いから離れられたら、文章が書けるようになった気がした。誰の言葉も誰の考えも今はいらない、それと同じように、あるいはそれと同じくらいのことを書かなければいけないという考えになってしまうからだ。そうなったら身動きが取れなくなる。白紙に時間と情熱を吸い込ませることよりも、布団の中で時間を「冷凍」できずただ「消滅」させることを選んでしまうだろう。それはまずいというよりもったいない。それが今のわたしの考え。無駄には良い無駄と、悪くもない色もない無駄がある。わたしは良い無駄をたくさん重ねていきたい。

 

 一九六七年、私はコロンビアの三年生を対象とする、パリ留学プログラムに申し込んだ。高校を卒業した時に何週間か過ごしてすっかりパリに魅了されていたから、もう一度行けるチャンスだと見て迷わず飛びついたのだ。

 

 パリは依然としてパリだったが、私の方はもはや初めてそこを訪れたときの私ではなかった。過去の二年間、私は狂ったように本を読みふけって過ごしていた。新しい世界がいくつもまるごと頭のなかに注ぎ込まれ、人生を変える輸血が何度も生じて血液の成分はすっかり組み替えられていた。文学と哲学に関して私にとっていまでも意味ある書物は、ほとんどすべてこの二年間に初めて出会ったものである。あのころを振り返って、自分が何冊の本を吸収したかと思うと、ほとんど信じがたい気にさせられる。私はすさまじい数のそれらを飲み干し、さまざまな書物から成るいくつもの国、いくつもの大陸を食らい尽くし、それでもまだいっこうに倦まなかった。エリザベス朝演劇、ソクラテス以前の哲学、ロシア小説、シュールレアリスムの詩。まるで脳に火がついたかのように、あたかも生存自体がかかっているかのように私は読みまくった。ある作品が別の作品につながり、ある思考は別の思考につながって、一か月ごとに私はすべてのことの関して考えを変えた。

 

ポール・オースター 柴田元幸訳 『トゥルーストーリーズ』 新潮文庫 2008年

 

 ポール・オースターはわたしの大好きな作家です。翻訳されてる作品はほとんど読んできました。彼のエッセイを日本独自編集した『トゥルーストーリーズ』から引用した上の文章にわたしは10年近く恋焦がれてきました。暗唱できるように、自分の身体の一部になるようにこの文をわたし自身に染み込ませたいと思い続けています。こんな風に燃えるように激しく膨大な読書をわたしもしたいと思っていました。この文章にはじめて出会った学生時代、大学の図書館に籠ったり、飽きないように部屋の勉強机の上によじ登って座ったり、浴槽やトイレや電車やモスバーガーでも本をずっと読んでいました。それでもオースターのように激しく自分自身が信じがたいと思えるほどの量の読書はできませんでした。オースターのマグマのように激しい読書体験は、10年たっても訪れませんでした。

 

 それでもわたしはオースターのこの文章自体にずっと恋焦がれています。この文章を読みながら、オースターの狂熱の時代を胸から腹の底に流し込もうとする時に、私自身にも燃え上がるものが沸き上がってきます。今でもオースターのような書物の知恵と熱を食らい尽くす読書をすることを完全に諦めてはいませんが。ずっと恋焦がれ忘れることのできない一生読み返し続ける文章を見つけられたこと自体が、わたしにとって何ものにも代えがたいことです。読むことで成しえれないなら、書くことであらゆる情熱の対象にこの宇宙に食らいつく狂熱の跡を、爪でも牙でも足でもいいから残していきたいと思うのです。オースターにはならなくていい、オースターのような文章なんてオースター自身が書けばいい、自分自身の文章をただ書こうと思えた時、本当の私の言葉が表にあらわれると信じています。書くことでいろんなものを大事に抱えることと、捨てることを同時にするという矛盾すら成しえてしまいたいです。狂熱と咆哮を書き記す日まで、わたしもまた倦むことはないです。