犬問答

 

 予定が崩れてしまった。1時半には目覚めて、そのまま起床できそうだったのに、油断してダラダラと寝過ごし、時計はどんどん先へと進んでしまった。今9時43分になろうとしている。思う通りに事が運ばないと心は乱れる。それが朝起きれなかった程度のほんの小さなことでもだ。今は苦しい。灰色の海辺の景色が口元まで迫ってくるようで、重い息苦しさがある。

 

  文章を兎に角書かねばならない。書いてようやく生きられる。極端でも何でも構わない。言葉は滅びるものだと言われとも、言葉をすぐに放り出すほどわたしは言葉を突き詰めてなんかいない。何かが浮かぶ訳ではないけれども。恋愛も夢もたわいもない会話も独白も何も浮かばない。

 

 この後、銀行の登録印を変更しに行かねばならない。2000字以上書き終えてから。だからという訳ではないが朝早くから文章を書きたかった。風通しの良い静かなこの世が無人であるかのような時間に書きたかった。それができるのは明日に持ち越しだ。そんな風に朝を待ちわびる気持ち自体が久々なのかもしれない。春よりも今は早朝よやって来い。わたしは敷布団の上に座り込んで毛布にくるまったままこれを書いている。

 

 珈琲でも淹れよう。このままでは何も言葉は浮かばない。ずっとずっと枯渇している気がするけれど、本当にそうなのか。わたしは言葉を失ってしまったのか。それでも書き続けなければならない。これから新しい文章を書くことが大切なんだ。チャンピオンベルトのかからない挑戦でも、終わりのないデッサンでもいい。何かしら書ければいい。結果ではなく過程をいくつも重ねていく。ペンキを塗るようにペタペタと。何でもいい、飛んでも跳ねても、焼いても蒸しても生でも構わないから先に行こう。素直になればいい。書く気になれば、どこだって書くためのシェルターになる。書くための宇宙船になる。抜け道はないようである。抜け道はなくてもある。全て失って、時間も年齢も忘れてしまっても紙とペンを持って書き続ければいい。平仮名でもカタカナでも何でもいいよ。言葉だったら何でもいい。これがわたしのパンづくり。小さな駅の騒がしさを避けて、裏通りの方をどこまでも歩いていく。それでいい。それがいい。気持ちの良い足音を探して。大地を踏みしめ歩いていく。

 

わたし.オマエは何がしたい?

 

オマエ.俺は小説が書きたい。

 

わたし.どんな小説が書きたいんだ?

 

オマエ.ウイリアム・バロウズみたいなビート文学、ポール・オースターのような素晴らしい文体の小説、ミュージシャンのパティ・スミスの自伝『ジャストキッズ』のような話も書いてみたい。これはあくまで理想だ。俺にそんなものが書けるかはわからないし、既にあるものみたいなものなんて書く必要はない気がするよ。小説を書くことに宛はないからな。今まで読んできたものが自然とミキサーで砕いたみたいに細かくミックスされて、自分にとって違和感のない借り物だという感じがしない文章を書けたらいいんだがな。後、ジョルジュ・バタイユの『眼球譚』も素晴らしい小説だと思うよ。2年ぐらい前に自分にはなんでこの小説みたいな文章が書けないんだろうっていう風に苦しんでいたね。

 

わたし.そうか。オマエの話す量が多いのか程々なのか、口語調に慣れていない俺にはよくわからないが、何とか会話は成立しているんだろうか?何にせよ、やってみなきゃはじまりもおわりもしないからな。どうにか少しは「会話」というものができたのだろうか?

 

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