犬6

髭剃りを失敗した。シェービングクリームをたっぷり肌に馴染ませて剃ったはずなのに、皮膚が削げた。痛くもないのに、血はとまらない。他の場所を剃っている最中、傷口が唇が、口の中が顎が血に染まる。ルーズに血が垂れる。右の人差し指の血、左の手の甲の血。絆創膏で閉じ込めた血。意識をほんの少しだけぼやけさせる血。一昨日は唇を切った。髭剃りがうまくいかない。肌が弱いのは確かだ。少年期に通っていた理髪店の男性は一滴の血を流すことなくワタシの髭を剃り落とせたのに、何が違うのか。人間としての生き物としての弱さが増すにつれて肌が弱くなったのか。生き方と同じように剃り方もますます不器用になったのか。傷が惨めで顔写真も撮れない。シャワーを浴びて寝癖を直すことも投げ出した。腹いせに胸と腹の毛を剃った。美しくない毛穴が露わになった。誰に見せることもない身体。なんのための身体。何のための服、何のためのこの裸。血もあらゆる体毛も爪も目ヤニも私の意思の弱さに反して毎日現れる。血が流れる。汚物など触れたくもないが、血だけは舐めても良い。ワタシは血が好きだ。故意に流れなかった血ならば。自然な血ならば。生きるための血ならば。ストロベリーソースと同じだ。ガラスの容器に入ったムースの上にこの苺をかけてくれ。人間の苺を。人間の木の実を。人間に甘酸っぱさを。人間の誕生日を。人間にロウソクを。火よりも血を灯せ。

今日も書くことが浮かばない。言葉自体が浮かばないわけじゃない。昨日よりほんの少しだけ早くパソコンの前に立てた。ギリギリ、何とか生きているけど毎日死にそう。どこに向かっているかはわからない。やはりワタシに右も左も上も下もない。方向などわからない。

テレビをつけた。料理研究家?の土井善晴が出ていた。彼の得意な和食のように品の良いえびす顔と穏やかな声が電波に乗ってうつ伏せのワタシに降ってくる。卵焼きの弁当を作るらしい。煮干しは臭みがあるというイメージだが、頭を取り除いて出汁を取れば臭みがなくなる?という話だったのか曖昧な記憶。土井善晴はゴボウのスジガキを包丁で拵えていた。ワタシはピューラーがないと無理だ。スジガキを切るのは子供の頃にやった手裏剣を飛ばすことと同じだと言う。その辺りでテレビを消した。

投げ出したい。ワタシは土井善晴ではない。料理について何も気づけてない。何かに例えることもできない。白いエプロンも似合わない。NHKにも出られない。何もできない。カーテンを閉めて。マスクをして、布団に包まれ、息を荒くして、iPhoneに文字を打つことしかできない。書くことを途切れさすことができない。やりたいことが、やるべきことがたくさんあるのに、何もできない。呼吸しかできてない。人間の形を消してしまいたい。自分自身の人間の形を。豚のように肥えたい。犬のように言葉を知らずに生きる生涯を送りたい。マシュマロのように珈琲に溶かされたい。俺を塀に入れても無駄だ。俺に既に縛られている。俺は既に檻を持っている。身動きが取れない。俺の五感に俺は縛られてる。話し方のマナーに縛られている。見知らぬ若者の現在と自分の過去を天秤に乗せることに縛られてる。ワタシは既に死んでいる。生きている時点で、生まれた時点で未来には死んでいるんだ。怖いのか、何故死を受け入れかけているのに、生存の途中に起きることを恐れるのか。別れを恐れるのか。生存は俗すぎる。生存がわからない。陳腐すぎる。呼吸が浅すぎる。国自体がレプリカだ、血の通った命自体がレプリカだ。カップの中の冷めていく珈琲自体がレプリカだ。睡眠がレプリカ、死もレプリカ。感情は何者だ。感情に国籍はあるのか?感情に惑星はあるのか?感情自体に礼儀はあるのか?感情はウサギと仲良くできるのか?俺が習ったことで、俺が知ったことで俺は賢くなれたか?馬鹿になれたか?知恵も白痴もマボロシじゃないか。俺は死んでないよ。だから俺は生きてないよ。マボロシだよ。現実がマボロシなんだよ。いずれなくなるならマボロシなんだよ。絵の具も血も肌も骨もマボロシなんだよ。

何度書いても安心なんてできない。寝る時間、起きる時間のコントロールもできない。