犬縛り

 

  何かを書きたいのに、真っ白な画面を見ると身動きが取れなくなってしまう。文章が言葉が生まれ出てくるという感覚のないまま無理やりにインクの痕を引き延ばすようなことしか出来ていないような気がする。今書けなければ意味がない、枯渇してると思うなら限界まで一滴もなくなるまで絞りつくす。錆びついた缶に貼りついて残った水滴が全部落ちるまで書く。

 

 

 

inuperrito.hatenablog.com

 

 上に張り付けた文章は4年以上前(26歳の時)に書いた文章です。私が書いた文章の中では一番良く書けている文章だと思っています。言葉が溢れ出ていた時間を切り取れたというか、書くことで自分を越えることができていた時の言葉です。そんな大した文章ではないかもしれませんが、その時の自分の状態を含めて愛着のある文章ではあります。いろんなしがらみ、恥ずかしさ、臆病さといったリミッターのようなものから解き放たれて書けているというか。その記事に書かれた文章以来そういう状態には自分をもっていけず、長い時間枯渇している感覚、無理やり引っ張り出している感覚を捨てられずにいます。ずっとずっと今も迷っています。今良いものを書きたいです。そういう意味では過去の文章を一切捨ててしまいたくなる時もあるのですが、再び風が通る日を書きながら待ち続けます。

 

 

 文章を何故書くのか。簡単に言えば文章を書くことで自分が自由でいられるからだとは思います。話し言葉だと「もっと落ち着いて話せ」と言われて整理して均されてしまう言葉の棘や粗が自由に踊って暴れ回ることが許された場所が、文章の中なのでしょう。暴れまわること、本当に自由に踊ることを抑えつけているのが自分自身なのは間違いありません。いい加減自分から解き離れたいです。解き放って、打ち砕いてみせます。